
我が家の一番遠くにあった水田。寺尾というところにあった。釜口集落の近くで、細い道をくねくねしながら行ったものだ。田植えを手伝った記憶がある。一家総出で、弁当作って行って、小屋で火を焚いてという光景をなんとなく覚えている。 ちょっとした休憩時間に皆から離れて、ナワシロイチゴを食べに行ったものだ。
昔の人は里道をきれいに草刈りしており、安全な道だった。苦労がしのばれる。
釜口にも数軒の、いやそれ以上に家があったかもしれない。

我が家の一番遠くにあった水田。寺尾というところにあった。釜口集落の近くで、細い道をくねくねしながら行ったものだ。田植えを手伝った記憶がある。一家総出で、弁当作って行って、小屋で火を焚いてという光景をなんとなく覚えている。 ちょっとした休憩時間に皆から離れて、ナワシロイチゴを食べに行ったものだ。
昔の人は里道をきれいに草刈りしており、安全な道だった。苦労がしのばれる。
釜口にも数軒の、いやそれ以上に家があったかもしれない。

下の畑のそばに井戸があった。トタン屋根、手動のポンプ。井戸水は豊富。井戸掃除の記憶なし。誰が掘ったのかも聞いていない。
小学生のころ、毎朝井戸水の温度を測った。5年くらい続いたか。結果はどこかに発表すればよかったと悔やまれる。

このアングルの写真って残っていない。どうしてかな。家族の集合写真はいっぱいあるのにね。家のまわりの風景は変化しないと思っていたのだろうね。
母屋の屋根にはテレビアンテナがあった。潮風ですぐにさびる。毎年5月ごろにはテレビ放送が乱れる。夕方の子供たちが楽しみにしている番組の映像がぐにゅぐにゅになってとても残念な思いをしていた。あとになってみればEスポという自然現象だった。
平成・令和の時代になれば、ケーブルテレビが普及して、初夏にVHFテレビの画像が乱れるという現象はなくなつた。みんな喜んだと思う。
家の下の段にはトタン屋根で、手動ポンプの井戸があった。たけのやがあった。年配の夫婦が住んでいた。

Adobeフォトショップなどでいうところの「不透明度」って何よ。不透明度100パーセントというのは、透明なの、それともまったく透けて見えないの?
まともな大人たちに対して、教壇で不透明度が1%であればほとんど透明ですなどと言って、いったいどれだけの人が理解してくれると思う? アプリケーション現地語化スタッフよ、もっと頑張ってくれ。でも今更用語を変更すると困る人たちがたくさんいるんでしようね。いやいやこれから学習する人のほうが多いはず。ほかにもあるけど、この不透明度だけはいつまでたったも慣れない。イライラする

動画作品を作ってはみたけど、出来が良くなかったというのはたくさんある。それでも箸にひっかかりそうだと判断したら、思い切ってYoutubeにアップすることもある。でも後から見直して、出来悪しと私が判断したら、削除する。
それでも、私の大事な時間を使って作った作品なので、なんとかしてやりたい。この都屋書房サイトにこっそりアップしておく。ここなら誰も見に来ないだろう。