ビデオカメラを望遠デジカメとして使っていた

望遠デジカメのかわりにビデオカメラを使っていた。だから動画はあまり撮らずにもっぱら静止画用に使っていた。いまから思うと動画も撮ればよかった。でも、動画を編集する術がないし、編集したとしても発表の場がなかった。今のYoutubeのようなプラットフォームがなかっので、動画をやる動機が薄かった。

私だってMacintosh

MacintoshLC630 なつかしいなあ。いつ頃買ったんだっけ。ホームページを作っていたころだから1999年頃(当時44歳)?懐かしいなあ。輝くわが青春。
Macはこれが最初で、最後かな。ワンボタンマウスが新鮮。分かりにくいファイルシステムにいらいら。
こんなの懐かしがっていたのでは、年寄り臭い。

水仙の花を買い取ってもらい小遣いかせぎ

近所の道端に咲くスイセンを勝手に切り取って、青木にもっていく。そこのおじさんが1本5円で買い取ってくれる。白い袴がついていないと安く査定される。どれくらいの収入になっていたのだろう、覚えていない。何歳ぐらいだったのだろう。小学校にあがる前?

母は安田の尋常高等小学校に通った

母は小学校に通うのに、裸足だったそうだ。道中にひ病院があったという。井の迫峠にあがるまでずいぶん遠いと思ったそうだ。学校のちかくのもんがいばって、えげそうにするので、行くのがいやだったことがあるという。冬中は寒げいことしてなぎなたをやったそうだ。同級生の中には六年でやめて女学校に行くものもいたそうだ。母はそうしなかったのだろう。

廿日正月(はつかしょうがつ)は休みの日

母の実家の近くに蟠竜(ばんりゅう)酒造KKがあった。母そこに奉公(酒造り職人の食事づくり)に行っていたという。毎年1月20日は、廿日正月(はつかしょうがつ)と言ってまる1日休みだったそうだ。
厳しい社長や奥さんのもとで辛抱して働いた母は、そのことで多くの人に認められて、縁談話も少なからずあったそうだ。しかし、大浜の野村一人に縁があってよかったよね、まったく。