
近所の道端に咲くスイセンを勝手に切り取って、青木にもっていく。そこのおじさんが1本5円で買い取ってくれる。白い袴がついていないと安く査定される。どれくらいの収入になっていたのだろう、覚えていない。何歳ぐらいだったのだろう。小学校にあがる前?

近所の道端に咲くスイセンを勝手に切り取って、青木にもっていく。そこのおじさんが1本5円で買い取ってくれる。白い袴がついていないと安く査定される。どれくらいの収入になっていたのだろう、覚えていない。何歳ぐらいだったのだろう。小学校にあがる前?

母は小学校に通うのに、裸足だったそうだ。道中にひ病院があったという。井の迫峠にあがるまでずいぶん遠いと思ったそうだ。学校のちかくのもんがいばって、えげそうにするので、行くのがいやだったことがあるという。冬中は寒げいことしてなぎなたをやったそうだ。同級生の中には六年でやめて女学校に行くものもいたそうだ。母はそうしなかったのだろう。

母の実家の近くに蟠竜(ばんりゅう)酒造KKがあった。母そこに奉公(酒造り職人の食事づくり)に行っていたという。毎年1月20日は、廿日正月(はつかしょうがつ)と言ってまる1日休みだったそうだ。
厳しい社長や奥さんのもとで辛抱して働いた母は、そのことで多くの人に認められて、縁談話も少なからずあったそうだ。しかし、大浜の野村一人に縁があってよかったよね、まったく。

我が家の一番遠くにあった水田。寺尾というところにあった。釜口集落の近くで、細い道をくねくねしながら行ったものだ。田植えを手伝った記憶がある。一家総出で、弁当作って行って、小屋で火を焚いてという光景をなんとなく覚えている。 ちょっとした休憩時間に皆から離れて、ナワシロイチゴを食べに行ったものだ。
昔の人は里道をきれいに草刈りしており、安全な道だった。苦労がしのばれる。
釜口にも数軒の、いやそれ以上に家があったかもしれない。

下の畑のそばに井戸があった。トタン屋根、手動のポンプ。井戸水は豊富。井戸掃除の記憶なし。誰が掘ったのかも聞いていない。
小学生のころ、毎朝井戸水の温度を測った。5年くらい続いたか。結果はどこかに発表すればよかったと悔やまれる。